昭和クラブ

音楽制作やバンドの活動などの情報発信。

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テレビでウエスタンカーニバルに夢中になっていた頃から、東京グラントオールオープリーというカントリー・ブルーグラスの演奏会(この言い方が当時は似合っていた)に行くようになったのはどの位の時間があったかは定かではないが、とにかくカントリー・ミュージック、ロカビリー、アメリカン・バブルガムヒットに興味があった時期ではありました。文化放送の「ユア・ヒットパレード」TBSの「L盤アワー」など外国のヒットもチェックしていました。次回は東京グラントオールオープリーの紹介をします。(ホームページ(昭和音楽市場昭和ヒストリー
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私の音楽体験は小学生の高学年の頃かと思います。もちろんもっと前から蓄音機で「さよなら三丁目」などの童謡を聴いたり、外で遊んでいる時に巷に流れていた「ミネソタの玉子売り」や「銀座カンカン娘」などを口ずさんだりしてはいた。2歳上の姉の好きだった美空ひばりの曲なんかも耳にしていた。しかし本当に好きになった歌手は姉も好きだった小坂一也だ。やはりデビュー曲の「ワゴンマスター」になぜか魅かれ、それに続くシングル曲は今でも思い出に残り、1990年CD2枚組「ワゴンマスターズ1954」の発売は本当に嬉しかった。バックバンドのワゴンマスターズには後にホリプロを創立する堀さんや原田実など後に活躍する方たちが所属していた。


敗戦後の日本にはアメリカの大衆音楽が流れ、アメリカ軍の日本基地の倶楽部で歌う日本の歌手が演奏活動をしだした。江利チエミ、ペギー葉山、カントリーではジミー時田
など大変人気があったようだ。当時はアメリカ音楽がJAZZと言う呼び方で一括りにされていた。またラジオでは駐留アメリカ人向けの放送局ファーイースト・ネットワークがあり、わざわざアメリカからホットな音楽を原盤で運びオンエアしていたようだ。そんな音楽に影響された歌手や作曲家が現れ、その時期の日本の歌謡曲にも影響を与えていた。
1958年から始まった日劇ウエスタンカーニバルに象徴されるポップ歌謡と、日本本流の演歌の流れがそれぞれ日本の流行歌の両輪として巷を賑わしていく。



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