昭和クラブ

音楽制作やバンドの活動などの情報発信。

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鈴木松美先生(音の捜査官)とのお仕事で星(宇宙)からのメッセージのCDを作りました。その数年前に波の音だけのアルバムが話題になり実績も上がったようです。発売前には「波だけのレコードなんて売れるわけがない」と営業に言われ、ずいぶん揉めたと聞いています。水のボトルが初めて商品化される時、水道の蛇口をひねれば出て来るものをわざわざお金出して買うかな?と思った時がありましたが、今では笑い話になってしまいます。それと似ていますね。
前出の波のレコードをヒントに、宇宙からのサウンドだけのアルバムを一挙に5枚発売しました。これはハワイのマウナケア山頂の天文台で宇宙から来た波形を、鈴木先生の監修で特殊な機械で処理しサウンドとしてCD化しました。火星・月・ブラックホールなどそれぞれ違う音がします。ずーとそれを流していると、その雄大さと神秘性で心が落ち着けるヒーリング効果がありました。そんな結果かこれもそこそこの実績が上がり後に音楽を入れた続編も制作しました。アイデア次第で何が商売になるかわかりません。私のボスは昔製作費を殆ど飲んでしまって、苦肉の策でトランペット1本で兵隊ラッパのレコードを作ったらヒットした話を思い出しました。
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最近都議会のヤジが話題になり、音声分析をやるとかやらないとか・・・。音性分析の第一人者鈴木松美先生とお知り合いになり、仕事をするようになったきっかけは歴史上の人物のコメント集CDでした。写真から骨格を測定し、分析の結果で声の予想を作り、コメントを言わせるというユニークな企画でした。たとえば松尾芭蕉が旅の思い出を語ったり、リンカーンのあの有名な演説を再現したり(どういう訳か日本語でしたが)などシャレで笑えるものでした。鈴木先生は元々FBIの科学捜査官だったようで、その後アキノ大統領暗殺事件の音性分析や、誘拐事件の電話の声の分析で事件解決に貢献したそうです。その足跡は「音の捜査官」としてTVのドラマにもなりました。一緒に制作した作品の数々は後日アップします。
リカちゃん人形が流行っていた昭和40年代の後半に、玩具メーカー[タカラ]さんとタイアップで「リカちゃん音頭」を制作しました。結構大胆な詞で物議をかもしました。(詳細は昭和ヒストリーで)2作目は<リカちゃんのお医者さんセット>という商品のTVCMタイアップ曲で、詞の内容も更にエスカレートしました。若気のいたりでよくやったと思います。
そんなタカラさんとのつながりで、先方より昔大ブームになった<ダッコちゃん人形>を再プッシュしたいので歌を作ってほしいと依頼されました。、ちょうどデビューを考えていた近田春夫&ハルヲフォンで挑戦しました。曲は「FUNKYダッコNo1」外国の女性歌手がボーカルで、当時流行のバンプのリズムを取入れ、踊りの振り付けもジャケットにいれました。
とりあえずご愛嬌のシングルの後にハルヲフォンはアルバムを3枚発売し、特に「電撃的東京」はマニアの間で評価されました。
電撃的東京電撃的東京
(2004/04/07)
近田春夫&ハルヲフォン

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幸福駅の切符はトレンドとして楽曲を中ヒットに押し上げました。常套手段としてそれに続く作品は南の島沖縄「竹富島」の星の砂にテーマを求めました。作品は「星の砂」でした。当時はまだ沖縄は日本ではなく、自動車も左ハンドル(右側通行の頃でした。星の砂は本当の砂でなく貝の殻で竹富島の砂浜は真っ白でした。そして目の前に台湾が見える・・・そんなともいい所でした。
そこで取材を兼ねた沖縄でアルバム企画を芹さんとお話し、日本の四季を歌ったアルバム「四季の詩」を企画立案しました。その時にアルバムのテーマ曲として「四季の歌」の話が出ました。当時はこの歌は「春夏秋冬」のタイトルでユースホステルの歌としてスタンダード化されていました。その後アルバムの中の1曲として発売されたのが秋だったと思います。明けて次の年にラジオ番組で男性歌手で放送されたのをきっかけに競作として6人の歌手がシングル発売をしました。せっかく音源があるので・・・芹洋子もシングル発売をしたのですが7人目でした。
それがどう云う訳か一番売れて彼女の代表曲になりました。今考えると作品の世界と彼女の歌声・歌唱が一番合っていたのだと思います。
作品と歌う歌手これがマッチングすることが聞く人の心を揺さぶる・・・これを身をもって勉強しました。
これがその後のシンガーソング・ライターがブームになったポイントだと思います。
ヒットを作らないと首の覚悟で作品製作をする中でデビューアルバムの制作中だった芹洋子を担当することになりました。彼女は当時NHKのの歌番組「歌は友達」のレギュラーで「おお牧場はみどり」のような健全な歌?を歌っていました。ヒット曲に挑戦しようと思いました。とても澄んだ声が売り物でしたが、ヒット曲デビューはリズムのある曲を、大学の先輩でもあった筒美京平氏に依頼しました。作曲家としてもまだ初期の頃で、松崎しげるの初ヒット「黄色い麦藁帽子」や望月浩の「黄色いレモン」が代表曲の頃でした。作詞は作詞家修行中のちあき哲也を起用しました。作品は「初恋の風車」でとてもいい曲でした。後に私はこの曲に拘ってキャンディ・レイという台湾のアイドルにもカバーさせました。何作か初恋シリーズを出した後に10万枚以上の実績を上げた「愛の国から幸福へ」という当時流行った北海道の幸せを呼ぶ切符の歌を発売しました。このいきさつ等は昭和音楽市場昭和ヒストリーのホームページで。
きっぷ
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