昭和クラブ

音楽制作やバンドの活動などの情報発信。

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池袋で開催の「東京フラフェスタ」に行ってきました。7月20~22日までの3日間池袋駅周辺の5会場で134チームが踊りまくりました。10周年と言うこともあってか、ホノルル市長からコメントが寄せられるほどの大イベントでした。原宿のよさこいイベントのハワイアン版の感じでした。中年の丁度お孫さん出来た年齢の女性が一番多いような気がしましたが、格好の趣味だと思いました。その部分で年齢層の少し上?の社交ダンスファンとの共通点もありました。いずれにしても日本にもそれぞれのジャンルで、中高年の楽しみが沢山出来てきたようで、結構なことだと思います。
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2年間の学芸部署からヒットポップス部署へ異動しました。この部署はヒット曲を制作するレコード会社の要の部署です。従って2年位でヒットが出なければディレクター首覚悟の真剣勝負です。芸能界に繋がりの少ない新人は、プロダクションなどとの繋がりを作ることからはじめます。しかし先輩方がほとんど関係を持っているので、今までお付き合いの無いプロダクションや個人事務所などからアプローチしたりしました。まず自分の過去の繋がりからカントリー系の歌手エディ稲垣をピックアップし、事務所もバンドの頃からの知り合いに頼んで準備をしました。丁度その頃菅原洋一の「知りたくないの」がヒットしていたこともあって、洋楽のカントリー曲に日本詞を付けて「タンタラスの丘」と言う曲を作り部内会議にかけました。散々でした。大プロデューサーには「こんなの作るだけならその辺の粉引きにも出来る・・・」最前線の厳しさを教えてもらいました。デビューに際しては諸々の準備や背景などが必要と言いたかったのでしょう。自分はいい曲で、うまい歌手が歌い、うまく出来上がることだけ考えていました。却下の後、今度は売れ筋の有名作曲家を起用し、日本人好みの曲で勝負しました。「熱い別れ」作詞:西川ひとみ作曲:中村泰士編曲:川口真でした。無事デビューが決まり諸々作戦を立て最終的にはオリコンにチャートイン初作品になりました。その頃のオリコンはまだ発足したばかりで、わら半紙をホッチキスで留めたようなものでした。作曲家の中村泰士氏とはこの後数々の作品でお世話になりました。
この頃の作品やエピソードはホームページ昭和音楽市場~ヒストリーで紹介しています。


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修行生活も2年目、ワイルド・プロデューサーからオリジナル・フォークソングの提案がありました。作詞に「虹色の湖」TVドラマ主題歌「おはなはん」などの大作家:横井弘、作曲に「月光仮面」「さよならはダンスの後に」の大御所:小川寛興、演奏に起用したのが昔のバンド仲間PPMフォロワーズでした。(WikiP.参照)メンバーは小室等、小林雄二、吉田勝宣、ボーカルの山岩爽子でした。この異色プロジェクトのアルバム「君はある日」はPPMフォロワーズ唯一のアルバムとなりました。この中には後にスタンダード曲になった「山に煙がのぼる」が収録されています。山岩さんには英語の歌など何曲かレコーディングしていただきキングの財産になっています。小室等にとっては後に六文銭、ベルウッド・フォーライフの足がかりになったアルバムでした。この頃の作品やエピソードはホームページ昭和音楽市場ヒストリーで紹介しています。
私は2年間の修行をした教養課から和製ポップスのセクションへ異動になりますが、そのあとにワイルド・プロデューサーのアシスタントになったのが、後のベルウッドを創った三浦光紀氏でした。
君はある日

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東日本大震災の後に岩手放送で流れて被災者の心を癒した曲に「空より高く」があります。sorayorit.jpg
この曲はもともと10年以上前に発表された曲で幼稚園・小学校などの卒業式のために作られたと聞いています。子供たちが何か力になりたいと岩手放送に自分たちの歌を投稿し、放送されて反響があった極だそうです。詳細はこちらのブログで。http://blog.goo.ne.jp/daigo_350/e/08eae5f1e90c2937e3fb1ade9f308b96  とても素晴らしい曲なので、ひまわりキッズで録音しました。himawarisyashinn.jpgitnesでアップしましたのでプレビューして見てください

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