昭和クラブ

音楽制作やバンドの活動などの情報発信。

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幸福駅の切符はトレンドとして楽曲を中ヒットに押し上げました。常套手段としてそれに続く作品は南の島沖縄「竹富島」の星の砂にテーマを求めました。作品は「星の砂」でした。当時はまだ沖縄は日本ではなく、自動車も左ハンドル(右側通行の頃でした。星の砂は本当の砂でなく貝の殻で竹富島の砂浜は真っ白でした。そして目の前に台湾が見える・・・そんなともいい所でした。
そこで取材を兼ねた沖縄でアルバム企画を芹さんとお話し、日本の四季を歌ったアルバム「四季の詩」を企画立案しました。その時にアルバムのテーマ曲として「四季の歌」の話が出ました。当時はこの歌は「春夏秋冬」のタイトルでユースホステルの歌としてスタンダード化されていました。その後アルバムの中の1曲として発売されたのが秋だったと思います。明けて次の年にラジオ番組で男性歌手で放送されたのをきっかけに競作として6人の歌手がシングル発売をしました。せっかく音源があるので・・・芹洋子もシングル発売をしたのですが7人目でした。
それがどう云う訳か一番売れて彼女の代表曲になりました。今考えると作品の世界と彼女の歌声・歌唱が一番合っていたのだと思います。
作品と歌う歌手これがマッチングすることが聞く人の心を揺さぶる・・・これを身をもって勉強しました。
これがその後のシンガーソング・ライターがブームになったポイントだと思います。
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ヒットを作らないと首の覚悟で作品製作をする中でデビューアルバムの制作中だった芹洋子を担当することになりました。彼女は当時NHKのの歌番組「歌は友達」のレギュラーで「おお牧場はみどり」のような健全な歌?を歌っていました。ヒット曲に挑戦しようと思いました。とても澄んだ声が売り物でしたが、ヒット曲デビューはリズムのある曲を、大学の先輩でもあった筒美京平氏に依頼しました。作曲家としてもまだ初期の頃で、松崎しげるの初ヒット「黄色い麦藁帽子」や望月浩の「黄色いレモン」が代表曲の頃でした。作詞は作詞家修行中のちあき哲也を起用しました。作品は「初恋の風車」でとてもいい曲でした。後に私はこの曲に拘ってキャンディ・レイという台湾のアイドルにもカバーさせました。何作か初恋シリーズを出した後に10万枚以上の実績を上げた「愛の国から幸福へ」という当時流行った北海道の幸せを呼ぶ切符の歌を発売しました。このいきさつ等は昭和音楽市場昭和ヒストリーのホームページで。
きっぷ
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