昭和クラブ

音楽制作やバンドの活動などの情報発信。

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2年間の学芸部署からヒットポップス部署へ異動しました。この部署はヒット曲を制作するレコード会社の要の部署です。従って2年位でヒットが出なければディレクター首覚悟の真剣勝負です。芸能界に繋がりの少ない新人は、プロダクションなどとの繋がりを作ることからはじめます。しかし先輩方がほとんど関係を持っているので、今までお付き合いの無いプロダクションや個人事務所などからアプローチしたりしました。まず自分の過去の繋がりからカントリー系の歌手エディ稲垣をピックアップし、事務所もバンドの頃からの知り合いに頼んで準備をしました。丁度その頃菅原洋一の「知りたくないの」がヒットしていたこともあって、洋楽のカントリー曲に日本詞を付けて「タンタラスの丘」と言う曲を作り部内会議にかけました。散々でした。大プロデューサーには「こんなの作るだけならその辺の粉引きにも出来る・・・」最前線の厳しさを教えてもらいました。デビューに際しては諸々の準備や背景などが必要と言いたかったのでしょう。自分はいい曲で、うまい歌手が歌い、うまく出来上がることだけ考えていました。却下の後、今度は売れ筋の有名作曲家を起用し、日本人好みの曲で勝負しました。「熱い別れ」作詞:西川ひとみ作曲:中村泰士編曲:川口真でした。無事デビューが決まり諸々作戦を立て最終的にはオリコンにチャートイン初作品になりました。その頃のオリコンはまだ発足したばかりで、わら半紙をホッチキスで留めたようなものでした。作曲家の中村泰士氏とはこの後数々の作品でお世話になりました。
この頃の作品やエピソードはホームページ昭和音楽市場~ヒストリーで紹介しています。


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